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DIY工房IZUMI
この工房では、あなたが作りたいものをお手伝いします。基本的な木工機械がすべてそろっています。さらに、アーク溶接機やプラズマ切断機もあります。木工と金工ができる工房です。

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Author:DIY工房IZUMI
中学校の社会科の教員を定年退職して、工房の活動を始めました。「体験を通して学ぶ人間の歴史」をテーマに授業をしてきましたので、「楽しいものづくり」の世界がたくさんあります。ここは「あなたが作りたいもの」を作る工房です。そのための機材が整っていますので、ぜひご利用ください。



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函館フィールドワーク 3 開陽丸

 1990年(平成2年)、江差町に原寸大で復元された開陽丸です。中は資料館になっています。 

287  かいよう丸全体 

 「開陽丸」は、江戸幕府の軍艦で、当時としては最新鋭のハイテク船でした。航海試験を行ったオランダ海軍大尉ディノーは「オランダ海軍にも開陽丸に勝る軍艦は無い」と断言したそうです。
 幕府は海防の必要から、中古の軍艦を購入していましたが、これでは世界の状況に対応できないとの判断で、巨費を投じて(40万両)、オランダに発注しました。最初はアメリカに建造依頼を出したのですが、当時のアメリカは南北戦争で余裕がなく、建造をことわりました。

・排水量 2590t   ・全長 72.8m  ・全幅 13.04mの大型軍艦です。 (1866年幕府所属)


295 砲門 

 開陽丸は、この画像で見ると鉄船のように見えますが、木造船で銅板が貼られていました。オランダは鉄船を勧めたそうですが、建造を急ぐ幕府は木造船を選択したそうです。3本マストの帆船で、補助に蒸気機関を搭載していました。この時代の船は最新鋭といっても風頼みでした。基本的にはペリーの黒船(1853年)と同じで、機帆船という分類に属します。黒船は外輪船でしたが、開陽丸はスクリュー推進でしたので、技術的には一歩進んだ船になっていました。黒船は鉄船だという記述があちこちに見られますが、これは間違いで、黒船は木造船です。

282 シャフト 

これがスクリューを回すシャフトです。沈没時の衝撃でグニャリと曲がっています。
蒸気機関は出力410馬力でした。現在のトラックのエンジンの馬力と同じくらいです。トラックのエンジンは小さいですが、蒸気機関は巨大で一つの部屋が必要になります。文字通りエンジンルームです。フルパワーで走った時の速度は12ノットということですから、時速22キロのスピードです。 燃料である石炭の搭載量は400トン、全力疾走で8日分しかありませんでした。
 これが当時のハイテク船の性能ですから、黒船はこれよりもさらに低い性能です。東アジアに市場の拡大を図るアメリカは、どうしても日本に石炭と水の補給基地が必要だったのです。

299 大砲 

これが当時のハイテク兵器です。大砲の数は35門。口径16センチのクルップ砲が中心です。海上での試射では3900メートルの射程距離を有したそうです。
クルップというのはドイツの有名な兵器会社で、敵にも味方にも大砲を売ってもうけた、「死の商人」としても有名です。彼の会社は、イギリスに次いで、「鋳鋼」の技術を獲得しました。鉄の鋳造技術は昔からありましたが、鋼鉄の鋳造技術は、このころにならないと実現しませんでした。「鋼」の時代の始まりがこのころです。
317 砲弾 

 これが海底から引き揚げられた実弾です。信管を抜く作業は自衛隊が行ったそうです。火薬は海水に侵されて爆発できない状態だったとのことです。
 
 クルップ砲がハイテクと言われるのは、鋼鉄でできていることと、砲身内部にライフルが切ってあることです。これにより砲弾に回転を与えることができ、命中精度が飛躍的に向上しました。クルップのハイテク砲と言っても、これは、「前装式」です。大砲撃つには、大砲の筒先から火薬を詰め、その次に弾を詰めるという方式です。しかも発射の反動で大砲自体が後ろに下がってしまうので、発射するには大変な労力と時間がかかります。言わば映画「パイレーツオブ カリビアン」の戦闘シーンと大差のない状況でした。この時代には、「後装式」の大砲も出現していましたが、故障が多く、未完成の状況でした。やがてすべての大砲が、「後装式」になるのですが、この時代は過渡的な時代でした。

319 マスト船内 

これは船内に貫通するマストです。船上に高くそびえるマストは、船内を貫通していないと支えることができません。 帆船は、梶の操作だけでは方向転換をすることができません。帆の向きを風に応じて変えなければなりません。そのためには多くの水夫がロープを引いたり、緩めたりしなければなりません。強風のときには帆をたたまないとマストが折れてしまいます。そのためには、水夫が帆桁に登り、ロープで帆を縛らなくてはなりません。すべて人力に頼らなければなりませんでした。


328 甲板 

甲板にはチーク材が使われています。思わず「これでボールペンを作ったら何万本できるかな?」と思ってしまいました。
                  
開陽丸 の 歴史
・文久2年 1862年 幕府がオランダに発注する
・文久3年 1863年8月 オランダで建造開始
・慶応元年 1865年 オランダで進水
・慶応2年 1866年7月17日 江戸幕府の所属艦となる
・慶応3年 1867年 横浜に寄港
・慶応4年 1868年 阿波沖海戦(徳島県伊島沖)で薩摩藩の軍艦を砲撃し座礁させる 大勝 利  
・慶応4年 1868年 8月19日 開陽丸を旗艦とした榎本艦隊が品川沖を脱走
(海軍副総裁に就任した榎本武揚は、新政府軍に開陽丸を引き渡すことを拒否して蝦夷地に渡航し函館戦争になる)

・慶応4年 1868年11月14日 江差沖に到着 艦砲射撃 反応無 榎本江差を無血占領

・慶応4年(明治元年) 1868年 11月15日夜 天候急変 江差沖で座礁 沈没

・昭和50年 1975年 江差町教育委員会によって、世界初となる水中・産業考古学の対象と  して発掘・調査プロジェクト発足。

・平成2年 1990年4月 江差町に原寸大で復元され、資料館となる

 巨費を投じて建造された幕府の軍艦は、わずか1年数か月で暴風雨のために座礁・沈没してしまいました。ハイテク軍艦でありながら、その役割を発揮せずに終わりました。どこか戦艦大和の運命に通ずるものを感じました。そういえば、大和の甲板もチーク材でした。

人類は、そろそろ、武器に巨額の資金を投入することをやめるべき時に来たのではないでしょうか。開陽丸はそのことを語りかけているように思いました。


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